カムイの冒険譚

遊びを大事に。自由にワクワクして暮らす。西洋占星術が大好き。18歳の視点で思ったことを書きます。

無意識に恐怖を感じていたことを特定する

 

 

引き寄せの法則の重要なポイント、それは望む方向に焦点をあてること。

 

ということは、無意識焦点をあてているものがマイナスだと、永遠にマイナスなことが引き寄せられてくるわけです。

だから無意識(潜在意識ともいう)を書き換えよう、とみんないうんですよね。

 

 

で、私、ついさっき無意識のうちに感じていた恐怖を一つ特定できました。

 

 

それは『電話』です。

 

 

電話がかかってくるたびに体を強張らせてた自分がいました。

なんで電話を怖がってたか…

 

 

それは1年〜半年ほど前のことでしょうか。

 

 

私は学校にあまり意義を感じず、大してこれから役立つこともないのになんで一般教養科目なんか勉強しなきゃいけないんだ!?

とすごく不満でした。

 

 

そこで私は聞きかじりの引き寄せの、自分を大切にという理論にのっとってある行動に出ました。

 

 

それはいわゆる…学校をサボること。笑

 

 

これは自分にとってかなり勇気のいる決断でした。中学生の間はすごく真面目に過ごしていて、サボりどころか授業中に寝たこともなかったのですから。

 

 

でも、サボりだの学校の教科だのは全て大人が決めたことだし、私の望むこととは全然関係ない。とずっと思ってたので、

社会的には間違ったことでも自分の心には合っているから私は社会が勝手に決めたことよりも自分を優先する。と自分を奮い立たせました。

 

 

それからというもの、私は親には秘密でちょくちょく本屋に行って学校に遅れたり、

仮病を使って休んで一日中本屋に入り浸ったりしていました。

(本が大好きなのです。笑)

 

 

そうなると、やっぱり親にバレないか…担任の先生が家に電話して確かめたりしないかどうか…がすごく心配になります。

 

 

サボった日は一日中、担任の先生が親に確認の電話を入れないか?を心配し続けていたので、結局心から楽しんで本を読むこともできませんでした。

 

 

サボったことは、バレたらバレなかったりしましたが、バレた時にはかなりめんどくさいことになったので、徐々に徐々に

 

電話=悪い知らせ

 

という結びつきができてしまいました。

 

 

そこから私は見て見ぬ振りをしてきましたが、

やっぱり電話=悪い知らせという結びつきは以前持ったままだったので、電話の着信を聞くだけで嫌な気分になります。今もそうです。

 

 

でも、今日それをちゃんと特定できたので、

しっかり向き合おうと思います。

 

 

…あ〜書けた。

 

 

 

 

 

 

 

分厚い財布を引き寄せた((((;゚Д゚)))))))

 

 

そうだ、引き寄せのことで数ヶ月前に起こったことがあるから、それもシェアしておこうと思う。

 

 

私は、これまで引き寄せに関しては一進一退で、引き寄せたり引き寄せなかったり…

小さい変化ばかりで、それほど大きく現実を動かすには至らなかった。

 

 

そしていま、その小さかった一滴一滴の水のような引き寄せの出来事の数々が蓄積されてきて、やっと自分の信念の土台になってきた。

 

 

これから私の人生は大きく変化するので、今のうちに今まで起こった小さな引き寄せを書き残しておこう。

 

 

 

数ヶ月前、私は毎月働かずに入ってくる収入、いわゆる不労収入が月100万欲しかった。(て、そのときもかい)

 

 

その時期にちょうど財布も壊れたので、新しいのが欲しいなあ〜と漠然と思っていた。ただそれはすごく欲しいというわけではなく、

まああればいいなあ〜という程度のゆるいものだった。

 

 

それから約一週間後。

 

 

 

私は親戚の家に遊びにいった。

 

 

 

そこで会った親戚の一人(もちろん私が財布を欲しがっていること、ましてや不労収入100万欲しいと思っていることは知らない)が私にいったのだ。

 

 

 

 

 

『ねえねえ、いらない財布があるんだけどいらない?この前買ったんだけど他にいいの見つけちゃって』

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

………………

 

 

 

 

((((;゚Д゚)))))))

 

 

 

 

 びっくりした。ホントにびっくりした。

 

 

 

しかもその財布、私が今まで手にしたことのない分厚さで、

200万の束くらいなら余裕で入りそうだった。

 

 

 

 

すごい…!✨本当に引き寄せられるのね。

このままいけばもっといろいろ引き寄せるのも余裕でいける!!!

 

 

 

と、思ったのだが、

それからまあいろいろあり、引き寄せが起きたり起きなかったり、まあつまり引き寄せの本質を掴めてなかったからだが今もあんまり大きく変わるには至っていない。

 

 

 

だが、そろそろ掴めてきたと確信している。

本当に感謝したい。私を支えてくれた全てに対して。

 

 

またこの備忘録的体験談は書いていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

シンクロがすぐに起こった。やはり私は今、かなり上まで来ている。引き寄せのコツを掴んで意図的に創造できている

 

 

今日ね、真剣に引き寄せをしようと決心しまして。

 

 

さっそく実践しました。もう論理とかやり方はある程度自分の中にも染み込んでしてるので、

もっと定着させるために成功者のブログやエイブラハムの本を読みつつ。

 

 

で、実践してからシンクロが来るのがホントに速かった。

今日の朝かな?行きたいな〜と思ってるプリンスエドワード島にワクワクして、月収4000万欲しい!とこれまたワクワクしたんだけど、

 

 

さっきテレビで、たまたまプリンスエドワード島のことが放送されてて(この島かなりマニアックなのでよりビックリ)、

しかも年収が高いアスリートランキングの生活特集みたいなのも別の番組で放送されてて、

もうシンクロすぎて驚いた 笑

(ちなみに私、テレビはほとんどみません。もし見るとしても録画なので、今日のようにたまたまテレビを見るなんてことはまずない。これも導かれてると思う理由の一つ)

 

 

 

これでいいのね。ここでも感謝した。いい具合にいってる。自分を褒めてあげた。

 

 

 

このまま1ヶ月は続ける。1ヶ月でとりあえず目に見えてわかる変化は出るはずだから。

 

 

あ〜ここまで長かった。

3〜4年前に初めて引き寄せという概念を

『ザ・シークレット』で知ってからというもの、自分の中でずーっと葛藤し続けてた。

 

 

信じようとしながらも、どこかで拒否していて、今までしつこくしつこく本を読んで、成功者さんたちのブログを読んで、

やっと今になって信念の土台ができてきたような感じだ。

 

 

あとは実践するだけだ。すべて、必要なものはすべてここにある。

全ては私を助けてくれる。ありがとう。

本当にみんなのおかげだ。ありがとう。

 

 

 

『いいことをする』18世紀のフランスでは当てはまりません

 

 

『徳を積む』ということについて、思ったことがありました。 

 

 

よく徳を積むと返ってくるとか、巡り巡って必ず自分にいいことが起こるよ〜と言いますよね。

 

 

個人的な意見では、それは『エネルギー上の話』だと思うのです。

つまり、おじいちゃんに席を譲るというのは、形としてはいいことです。間違いなく。ただ、そのいいことをした時のエネルギー、

言い換えると『感情』がどうかというのがポイントではないかと。

 

 

今の例でいうと、同じおじいちゃんに席を譲るという行為をしたとして、以下のように譲った時のエネルギーが違うとどうでしょうか?↓↓↓

 

 

・いいことをしたことで、心がほわんとあったかくなる。ハッピー♡

・いいことを形の上ではしたが、心の中では『ちッ…自分が座りたかったのにこいつが来たせいで譲る羽目になったじゃねえかよ…💢(イライラ)』と思っている。

 

 

 

全然違いますよね?

形の上では、誰が見てもおじいちゃんに席を譲ったのですから、いいことをしているでしょう。

が、エネルギーでみるとこれらはまるで逆なのです。

 

 

引き寄せの法則で提唱されていることで超基本なことは、自分が出している波動(エネルギー、感情)と同じ周波数のものが引き寄せられてくる

ということです。

 

 

つまり、ハッピーな感情を出すとハッピーなことが、

イライラ💢な感情だすとイライラ💢させられることが、

それぞれ引き寄せられてくるのです。

 

 

この理論でいうと、自分がすべきなのは正確にいうと(世間的にはいいとされている)徳を形の上で積むのではなく、

自分がポジティブな感情を出せること、ということになりますね。

 

 

 

 

…なんで私がこんなことを書いているのかというと、大好きな歴史の本を読んでいる時に気づいたことがあったからです。

 

 

 

今現在の日本では、あいさつを笑顔でするというのはいいことにあたりますよね。

これに反論する人はいないはずです。

 

 

ですが、この前18世紀のフランス(マリーアントワネットの時代)の本を読んでいて、とても驚きました。

 

 

 

当時のヴェルサイユ宮殿では、身分が低い人が高い人に声をかけるのは相当に失礼なことだとされていたそうなのです。

 

 

今現在の日本では徳とされていることが、

時代が違えば逆に失礼なこととなる…

 

 

ということは、徳を積むとか人に親切にしましょうとかいうのは、形の上でそうすればいいということではなく

それをした時のエネルギーのことを言っているのではないか?というかそうじゃないとこの論理が時代と場所が違えば成り立たなくなるし…と思ったのです。

 

 

 

人に親切にしましょうなんて、随分昔から幾多もの人々に言われてきてますからね。

本当に本からは学ぶことがたくさんある。笑

 

 

 

 

 

 

『主張』のジュノー。イライラの原因はこれかも?

ずっとイライラ💢していることがありまして。

 

 

それは、(求めてもいないのに)ごちゃごちゃアドバイスされることです。

 

周りの人から、もっとこうしたほうがいいよ、○○なんだから☆☆したほうがいいんじゃない?と言われることがここ最近なんとも引っかかって、

心がざわざわしてました。

 

 

 

でねー、これよくよく考えてみると、

『ごちゃごちゃ』周りから言われてざわざわする原因は自分自身にあったんですよね。笑

 

 

西洋占星術では、自分で使わなかった配置は環境に投げ出して、誰か他の人にやってもらうという考え方があります。

ホロスコープ(自分の生まれた時の図)を見て結婚相手とか、好きになりやすいタイプとかをある程度推測できるのも、誰でも自分のなかにある(女性の場合)男性像に近い相手を好きになるようにできているからです。

 

 

逆に男性の場合は、自分が持っている女性要素に近い人を好きになっているわけですね。

 

 

で、周りから言われることになんでこんなに心が引っかかるのか?をふとホロスコープで調べてみると、

ありました。原因はジュノー。自分の権利の主張、ここだけは譲れないというところを表します。

 

 

このジュノーは小惑星なので、太陽とか月ほど強い影響力があるというわけではないのですが、

それでもやはり自分の一部。使わなければ周りに使われる(周りに託す)という法則は健在です。

 

 

その私のジュノーですが、

蠍座の27度『A military band on the march』

訳すと『行進している軍楽隊』になります。

 

 

自分の信じる生き方や考えかたを、積極的に他の人に普及させようとする、

つまり言い換えると押し付ける…という意味があります。

 

 

つまり、私は自分の考え方を他の人に普及させたい、主張したいという思いが元々あり、

しかもそれがジュノーなので、絶対に満たさなければならない。もはやこれをすることが自分の権利である。というようなところ。

なんらかの形でこれをしなければならないのです。

 

 

にもかかわらず、私はこれを充分に日常生活で使っていなかったので、

周りのアドバイスしてくれる人に対してやたらざわざわする…とこういうからくりだったみたいです。

 

 

やはり、周りで起きることはみんな自分の鏡なんだな。と確信しました。

だってこうしてざわざわする=心が反応する、ということは、自分でこの配置を使いなさい〜というメッセージだったんですね。

 

 

…よく考えると、このブログとかまさにジュノーを使って書いているのでは!?

 

 

基本的にここに書いていることは、自分が思ったこと、感じたことを素直に書いているので。

 

なのでもしかすると、読んだ時に荒さを感じるかもしれませんが、それも今の私の一部ということで。笑

 

 

私、実生活では明るくて、何も悩みないでしょ〜とよく言われるのですが、そしておそらく他の日本人と比べると地に足がついた方面に関しては気楽な方だろうな〜と思うのですが、

 

逆に『自分』についてはよく悩みます。

特にここ3年くらいはずっとそうです。

 

 

引き寄せの法則の本なりブログなりを読みまくり、西洋占星術も勉強し、自分なりに『自分』についてや、

エネルギーのことを考え、いろいろ実践もしているのですが、

 

どうにも腑に落ちないことがたくさんあって。

最近もううんざりしてくるくらい。

 

 

成功した人々は、豊かになるのは簡単、自分のブロックを外すだけだと言っているのに、私はそのブロックがそもそも何なのか、どうしたら外れるのかがさっぱり分からず。

 

バシャールは、『法則はシンプルです。最もワクワクすることを能力の限りやりましょう』

と言っていて、それはすぐやろうと思えば実践できるのに、 

なぜか生活の些細なことを優先してしまう自分がいる。

 

…こうして書いていると、だんだん自分の頭の中が整理されてきた。

 

ほんとに、本当はシンプルなのだろう。

こうして、いろいろなことを躊躇してしまう自分はいわゆる覚悟が足りないのだろうか。

 

 

 

私は、根元のところではすごく自己肯定感が高い。なんでもできると思っている。

 

 

でも、表面の、意識の浅いところ(つまり顕在意識)ではごちゃごちゃといろいろな考えを絡み合わせ、詭弁を振るい(勿論自分の心の中で、ですよ)

シンプルに心の声を聞こうとしない。

大好きなHappyさんが言っている、心を大事にするということをせず、むしろ顕在意識をうるさくして誤魔化している気がする。

 

 

なんでこんなことするのか?と我ながら思う。

こうして自分の意識の外に考えていることを出してみると、客観視できる。なんかアホなことしてるな?と単純に不思議に思う。

 

 

 

 

今日書いたことは、私の頭の中のシェアです。

 

 

 

こうして考えをアウトプットすると、すっきりする。ずっとなかで考え続けるより、整理される気がする。

ということで、頭の中のシェアはこれからも(自分のために)やっていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼルダの伝説・BOTWしたい〜

あーーーーーゼルダしたい。ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドしたいいいいーーーーーーーーーーーーーー

 

 

もうほんとにニンテンドースイッチの絵が綺麗すぎるよね。ゼルダに限らず、マリカもそうだし、その他諸々もそうだけど、絵が綺麗すぎてもはや見てるだけで幸せ。

 

 

 

実は私かなりのゼルダ好きで。

といっても、生活の全てをゲームに捧げているゲーマーにはまったく及ばないのですが、
DS世代だったこともあり、ゼルダはゲームの中でもかなり好きな方でした。

 

ストーリーとか世界観もそうだし、何よりプレイしてて楽しい。

 

私はゼルダのような、何といったらいいか…
伝説とか魔法などの神秘的な要素があったり、
登場人物や町の名前が変わってて響きがいいような世界観が大好きです。
(たぶん分かる人は感性で理解できるよね!?)

 

あ、それから私の感性においてかなり重要な要素があって。

 

それはズバリ『美しさ』

 

美しさといってもそのイメージは人によりけりだと思いますが、まあとにかく私は美しさをどこかしらに感じなければ基本感性は反応しません。

 

まあその感性が反応する美しさに関してはまた書くとして。

 

確実に言えるのは、ゼルダはかなり私の好みの軸に近いところに触れているということです。

 

私も、いずれは自分が創ったものを、ゼルダのようにゲーム化してみたいという夢があります。

 

映画化もしてみたいな。実写版ではなく、ジブリみたいなアニメで。

そうなったら最高だろうなあ〜〜〜〜〜〜

今のこのワクワクを『写し絵』したい

小さい頃大好きだった絵本、

『りすのパン屋さん』『雲のソフトクリーム』『魔法の絵の具』

を読んだ。

 

これらの絵本は絵を見るとワクワクする、広がっていく感じがある、本当に好きな絵本だった。

 

久しぶりに読んでみると、その時の感覚が蘇ってきてすごく心地よい。

 

子供はなんでもできる。ゲーテも若い頃に抱いた夢はかならず実現するから注意しなさいといっていたが、本当にその通りなんだろうと思う。

 

浦島太郎とか白雪姫も好きだったな。どちらも懐かしい。小さい頃、同じ部分ばっかり読んで読んで〜とせがんでいたらしい。やっぱり子供って清らかなんだな。

自分に正直。それがナチュラルな存在なのだろう。

 

ネイタル(出生)ホロスコープは、実は未来の可能性を切り開くものではなく、

自由で広くて次元が高い霊界から転落した瞬間の図なんだそう。

 

未来はかならず明るい、というのはもはや信念のような顔をして私たちの思想体系に組み込まれているけど、本当にそうなのだろうか。

 

実際、狭くて不自由で体も鉱物を含んで重いこの地球に来たことが嫌で、怒っている人もいるらしい。

 

で、この地球から脱出するためには(つまり地球に転落する前にいた自由な場所に戻るには)

ちゃんと入り口にいなければならない。その入り口(または出口ともいうべきか)を示しているのが、他でもないネイタルチャート。

 

もちろん色々な考え方があると思う。それはそれで私はいいと思っている。ただ、私はネイタルチャートは今より一つ上の次元にいた自分がここに落ちてきた時の図であり、

落ちてくる前に次元が高いため、次元の下(つまり今いる地球)でのことを全て見通してきた。

言い換えると、ここで体験することをあらかじめ知った上で、どんな肉体に入るか、どの国に、どの家庭に、そしてどんな時代に行くかもあらかじめ決めて、納得した上で全てその予定を記憶喪失してここに転落したと考えると魂から納得できる。あ〜そうだったよね。というホッとした感じ。

 

実際、桁外れに成功している人のホロスコープを見てみると、もうただただ驚くばかり。

自分が持っている可能性を全部発芽させ、大輪の花まで咲かせているのだ。

同じホロスコープでも、人生に不満がある人とか、自分を生きていない人のホロスコープ(おそらく大部分の人)は、もっている宝物の10分の3も使っていなかったりする。

それでいて、自分にはなんの才能もない、どうせ無駄だ、みたいなオーラを出しているのをみると、申し訳ないがくすっと心の中で笑ってしまうのを禁じ得ない。

そりゃそーでしょ。10分の3しか使えてない上に使えてる3の方も使いこなせてるとはとても言えないし、なんなら自分で種を叩き潰すようなことばっかりしてるんだから。

 

とりあえず今日のところはここで切ろう。

こうして自分の心の言葉を書いていくってかなり楽しい。これまであまりやったことなかったけど、思い切ってやってみてよかった。

私のネイタルチャートでは水星が強すぎるし、いまいち日常で使いこなせてないっていうのはひしひしと感じていたから、こういう試みを始めるなんて、自分を褒めてやりたい。ありがとう。