今のこのワクワクを『写し絵』したい
小さい頃大好きだった絵本、
『りすのパン屋さん』『雲のソフトクリーム』『魔法の絵の具』
を読んだ。
これらの絵本は絵を見るとワクワクする、広がっていく感じがある、本当に好きな絵本だった。
久しぶりに読んでみると、その時の感覚が蘇ってきてすごく心地よい。
子供はなんでもできる。ゲーテも若い頃に抱いた夢はかならず実現するから注意しなさいといっていたが、本当にその通りなんだろうと思う。
浦島太郎とか白雪姫も好きだったな。どちらも懐かしい。小さい頃、同じ部分ばっかり読んで読んで〜とせがんでいたらしい。やっぱり子供って清らかなんだな。
自分に正直。それがナチュラルな存在なのだろう。
ネイタル(出生)ホロスコープは、実は未来の可能性を切り開くものではなく、
自由で広くて次元が高い霊界から転落した瞬間の図なんだそう。
未来はかならず明るい、というのはもはや信念のような顔をして私たちの思想体系に組み込まれているけど、本当にそうなのだろうか。
実際、狭くて不自由で体も鉱物を含んで重いこの地球に来たことが嫌で、怒っている人もいるらしい。
で、この地球から脱出するためには(つまり地球に転落する前にいた自由な場所に戻るには)
ちゃんと入り口にいなければならない。その入り口(または出口ともいうべきか)を示しているのが、他でもないネイタルチャート。
もちろん色々な考え方があると思う。それはそれで私はいいと思っている。ただ、私はネイタルチャートは今より一つ上の次元にいた自分がここに落ちてきた時の図であり、
落ちてくる前に次元が高いため、次元の下(つまり今いる地球)でのことを全て見通してきた。
言い換えると、ここで体験することをあらかじめ知った上で、どんな肉体に入るか、どの国に、どの家庭に、そしてどんな時代に行くかもあらかじめ決めて、納得した上で全てその予定を記憶喪失してここに転落したと考えると魂から納得できる。あ〜そうだったよね。というホッとした感じ。
実際、桁外れに成功している人のホロスコープを見てみると、もうただただ驚くばかり。
自分が持っている可能性を全部発芽させ、大輪の花まで咲かせているのだ。
同じホロスコープでも、人生に不満がある人とか、自分を生きていない人のホロスコープ(おそらく大部分の人)は、もっている宝物の10分の3も使っていなかったりする。
それでいて、自分にはなんの才能もない、どうせ無駄だ、みたいなオーラを出しているのをみると、申し訳ないがくすっと心の中で笑ってしまうのを禁じ得ない。
そりゃそーでしょ。10分の3しか使えてない上に使えてる3の方も使いこなせてるとはとても言えないし、なんなら自分で種を叩き潰すようなことばっかりしてるんだから。
とりあえず今日のところはここで切ろう。
こうして自分の心の言葉を書いていくってかなり楽しい。これまであまりやったことなかったけど、思い切ってやってみてよかった。
私のネイタルチャートでは水星が強すぎるし、いまいち日常で使いこなせてないっていうのはひしひしと感じていたから、こういう試みを始めるなんて、自分を褒めてやりたい。ありがとう。